熊本市南区近見町の自家焙煎コーヒースタンドるるわ珈琲が16周年を迎えました!

熊本コーヒー
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皆さん、こんにちわ^^

熊本コーヒー焙煎研究所WATARUのわたるです。

本日も、皆様にとって有益なコーヒーの情報をお伝え致したいと思いますが、今回は私のコーヒー人生の歩みも含めた汗を掻いたり泥に塗れて過ごして、今がある的なお話しになります。

今回は私自身のコーヒー屋16年分のお話しが盛り沢山詰まっておりますので、長編になりますのが今後コーヒー店を開業される予定の方やお時間がある方は是非ボチボチ最後まで読んでみて下さいね!

目次

熊本の自家焙煎コーヒースタンドるるわ珈琲とは

こちらのお店は何を隠そう、熊本コーヒー焙煎研究所わたると姉妹店のコーヒー専門店であります。そうです!!私、熊本コーヒー焙煎研究所WATARUの所長のわたるが16年前に立ち上げたコーヒー専門店であります。この熊本の自家焙煎コーヒースタンドるるわ珈琲の魅力やご紹介を本日はさせて頂きたいと思います。

まず、こちらの熊本の自家焙煎コーヒースタンドるるわ珈琲は、16年前の起業当初は車での移動販売によるコーヒー販売を行っておりました。最初の営業場所は、現在もある南熊本ナムコワンダーシティー内のテナント前駐車場で営業をさせて頂いておりました。

私は21歳の頃に自営業を始めて、22歳の頃にコーヒーと出逢いコーヒー屋に転身しました。るるわ珈琲の起業当初は、コーヒーのことは全く分からずに、とりあえず自己資金50万円から始めました。「車」と「コーヒー設備」を揃えて、3日くらい徹夜でボロボロの軽ワゴン車を友達と改造して保健所の許可を得て、何とか営業に乗り出せたのが始まりでした。

営業初日は、ドキドキしながらも開始と同時に沢山の友人や知り合いが来て頂き、営業場所にも沢山の人が居ましたので朝11時オープンから夜中3時くらいまで休みなく働きまくりました。頭の中が真っ白になるくらい忙しいのと不慣れな飲食営業もあり、沢山のお客様をお待たせすることになりました。

でも嬉しかったし、とても有難かったのを今でも覚えております。コーヒー屋さんを始めた動機は、人から必要とされる存在やお店を作り皆に喜んでもらえることをしたかったということでありました。それから、2ヶ月間くらいは1日も暇な日はなくとにかく毎日行列で忙しい日であったのを覚えております。

挫折から試練が始まり、改めてコーヒー屋の奥深さを知ることに・・(1年目)

起業してから、ちょうど2ヶ月くらいでるるわ珈琲にとって一番最初の試練が訪れました。今、考えればこのような試練が形を変えて沢山あったなぁ~~・・しみじみ思います。その最初の試練の時は、メチャクチャ涙が溢れ出ました。何か、ここまで打ち込んで急転直下で地面に叩き落された気分を味わいました。

その1度目の試練は、私の拠り所としている営業をするに当たって大事な3つの柱を一気に失ってしまったことです。

①移動販売車の故障

②仕入先との解消

③営業場所からの撤退

この上記3つが一気に訪れました。悲しいどころか、どうしていいか分からずに途方に暮れましたね。今であればリスクヘッジのため、予め予測して営業をしなければならないのですが、まだまだ起業当初は経営者としての自覚もなく、その日暮らしのような生活で突っ走っておりました。

ただ、この3つのリスクは当時の私にとっては、廃業当然のような出来事で途方に暮れちゃいました。現実は、甘くはないと知った最初の出来事でした。私は、コーヒー屋さんを起業した2ヶ月くらいは、心の中では意外にお客さんも当たり前に来てくれるんだぁ~~・・と簡単に考えていました。

ここからが、私にとっての深い学びがありました。コーヒーの認識の低さ、経営者としての実力不足、人間性の魅力に欠ける部分など、上記リスク全てはこれらからきておりました。ただ、始めたからには止めたくは無いし、少しづつコーヒーの魅力にハマってきてもいました。持ち前の、諦めの悪さが発揮して足掻きまくりました。

まずは、①の移動販売車の故障ですが、熊本市内で置きっぱなしで通えるような駐車場はないかとメチャクチャ探しまくりました。そして、運良く助け舟がありとあるカメラ屋さんの駐車場で朝10時~夕方19時まで営業をさせて頂けることになりました。それも、故障した車は置きっぱなしの条件で営業を再開出来ることになりました。

これで営業再開だぁ~~・・と思いきや、②の問題点の仕入れ先を見つけないといけませんでした。ある程度の飲食やコーヒーメニューは出来上がっていたので、肝心のコーヒー豆の仕入れ先だけを確保しなければなりませんでした。このコーヒー豆の仕入れ先も、メチャクチャ周りました。優しく接してくれる方も居れば、頑なで頑固で冷たくされる方も居て、色々と世の中の厳しさもこのときも身を持って知りました。

元はと言えば、私がコーヒーのことも知らずに勉強もせずに難しく奥深いコーヒーの世界に足を簡単に踏み込んだ自業自得であるのが原因なんですがねww自分に残っているのは、若さ故の勢いと未来の希望だけでしたけど、何か知らないけどいつも助け舟を頂き涙ながらに喜んだのを覚えております。

ロクに勉強もせずに、好き勝手に生きてきて、何にも世の中のことを知らないのに何処にも勤めずに修業もせずに、このような立派なコーヒーの世界に興味本位で飛び込み、何も考えずに勢いだけで、本当に私を助けてくれたすべての方々に感謝であります。正直、私だけの力で成し得たことは1つもないと感じております。

このときの問題点の②も、快くコーヒー豆を譲って下さり、色々とコーヒーのイロハを教えて下さる方がいらっしゃいました。そして、すべての①~③の問題点が解消されて意気揚々と次の営業場所で新しい船出になることでした。

コーヒー屋さんは基本的に品質と美味しさを持ってしないと誰も通ってくれない(1年目)

すべての問題点を解決して、新しい営業場所でのコーヒー販売でありましたが、以前みたいに行列で忙しいであろうと期待しておりましたが、世の中の厳しさを痛感することになりました。全くお客様が来てくれません。1日1杯を売るのにも、こんなに必死にならないといけないのかと、思うくらい必死でしたね。寒い冬でありましたが、以前のお客さんや知り合いに電話して営業再開を伝えても全く来てくれませんでした。

初めて知りました。商売では、その人にとって価値がないものには足を運ばないしお金を出すこともないのですね。実は、このときの駐車場の営業場所の目の前はコンビニでした。コンビニにジュースもスイーツもお手頃であるのに、わざわざボロボロの車で販売しているコーヒーを買いに来ないことも身を持って体感させて頂きました。

結果、このカメラ屋さん前での営業は3ヶ月くらいで撤退致しました。もうお金も無く、車も無く、コーヒーの経験や知識も中途半端で、経営スキルや社会的経験や人間性も未熟で何も無い~~・・って状態でした。もう周りの人達からしたら、もう止める以外の理由はない状態でした。貧乏でも人には迷惑は掛けたくないし、働かざるもの喰うべからずでありながら稼げてもいない状態で、心身ボロボロの時期でしたね。

この起業してから一生分の涙と勇気を振り絞った感じはありましたね。でも、持ち前の諦めの悪さがあり、身の周りの車やお金になるものは、すべて売り払って、るるわ2号車を製作始めました。また、私の周りに居てくれた友人や仲間の力を借りて作り上げました。今回は、エンジンも好調で車の発電だけでどこの場所でも喫茶やコーヒーを振舞える装備も致しました。

この頃は失うものも多くありましたが、新たなる出逢いや得るものも多くあり、すべては人様が繋いでくれた縁ばかりでした。営業場所を探そうと思っていたら、福岡の方で自家焙煎珈琲を教えてくれる方との縁があり、すべて失ったので布団を積み込んで福岡県での営業許可書を取得して旅立ちました。何か、若気の至りか分かりませんが面白いことやワクワクすることを求めて福岡に旅立ちました。

この福岡県でのコーヒーの出逢いこそが私の原点でもあるような気がしてます。次から次に素晴らしく激動な日々を過ごさせて頂きました。

初めての自家焙煎は直火式ドラムの5kg釜でした(1年目~2年目)

運良くコーヒーの達人に引き合わせて頂いた方が居られて、福岡県で移動販売のコーヒー店をするハズであったのですが、合間を見ながら自家焙煎珈琲豆専門店でのお手伝いをすることになりました。最初はオープニングスタッフでのお手伝いだけであったのですが、内部での色んな諸事情があり、いつの間にか自家焙煎珈琲豆専門店の店長に抜擢されることになっておりました。

メチャメチャ、ビックリな展開でした。こんな流れでコーヒー修業や会社運営のイロハを学ぶことが出来ることになるとは思いもよりませんでした。そんな流れであったので、暫くはコーヒー豆専門店でコーヒー修業になるので移動販売のコーヒー車両は休業しておりました。ただ、毎日そのお店の前には赤いるるわ号があったので、街中では良く声を掛けられておりました。

乗りと勢いだけで当ても無い福岡県での移動コーヒー販売が、住む家や給料まで頂き店舗や会社の運営にも携わることが出来、更にコーヒー豆のことやコーヒーのことを商業から製造まで学びながらさせて頂くことになるとは、少しも思ってもみてなかったです。諦めなければ人様からのご縁を頂きチャンスがあることも身を持って知ることが出来ました。

それから、1年弱はフジローヤル5kgの直火式ドラムでの焙煎を朝から晩まで毎日することになりました。当時は、スタンダードコーヒーかプレミアムコーヒーが主流での直火焙煎でしたので、とにかくハンドピックを手首が痛くなるくらいまで徹底して行っておりました。忙しい時は、焙煎機の前から離れることが出来ず、開店前から閉店後までとにかく焙煎をしまくっておりました。

でも、忙しくて心身ボロボロにはなりましたが、とても貴重な体験とコーヒーの基礎をとことん学ぶことが出来て、とても有意義な時間を過ごすことが出来ました。そして、また熊本に戻り移動販売でコーヒー屋さんを再開するときがやってきました。

熊本で今度こそは移動コーヒー販売車で健全な経営状態にするハズでしたが・・(2年目)

1年弱の自家焙煎珈琲豆専門店の経験は、とても大きなものとなり、その経験を基に美味しいコーヒーを提供を出来る自信満々でした。この以前の経験でいうと、コーヒーの理解がなく近所で仕入れたようなコーヒー豆で提供していたので、価値のないものにお客様が居なかったので、今度は大ヒットするハズだ・・と思っていました。

では、まずは営業場所だな~・・と思い熊本各地は隅から隅まで周りました。コーヒーを飲むならロケーションが良いほうがいいと思い、山奥や山頂でのゲリラ営業をよくしておりました。売れる時もあれば売れない時もありましたが、1つの問題点は私有地であれば持ち主の許可が必要であるし、国や県の管理下であれば申請が必要であったので勝手に営業をしては駄目であることも、このとき初めて知ることばかりでした。

立派な大人から怒られ、国の方々からも怒られ、怖い人達からも色々あって、この営業場所問題だけでも結構大変なことばかりでしたね。ただ、色んな知恵はそのプロの筋の方々から身を持って学ばさせて頂きました。そして、結局は夜は熊本新港で営業をして、週末はイベントや店舗内での営業でコーヒー販売をするようなサイクルが出来上がりました。

イベントや店舗内などでのコーヒー販売は、販売手数料などを支払わないといけないのですが、予め集客がある場所なので売れないことは滅多にありませんでした。ただ、週末のイベントだけでは継続運営を出来ないので平日に稼ぎが必要でありました。この熊本新港での夜での営業が長い苦労の日々でしたね。

美味しいコーヒーとロケーションさえよければ、お客様はついてくると思っていたのですが、まぁそうではなかった現実がありましたね。やっと見つけた熊本新港の夜での営業場所でしたが、当時は人はあまり居ない寂しい場所でした。ただ、ロケーションは抜群に良かったのは覚えております。

当時の、るるわ2号車は昭和初期のレトロを意識した内装とカラーリングでしたので、夜の熊本新港にはピッタリな雰囲気でした。ただ、いきなり夜に毎日出現するようになっても誰も近づいてきてはくれませんでした。このときに2度目の挫折感を味わい長い自分との戦いが始まりました。

熊本コーヒー移動販売

お客さんが求めている価値とは味だけではないことを知ることになりました(2年目~4年目)

毎晩、熊本新港での営業が苦痛になり始めていました。営業開始して一日1杯売れるか売れないかの日々が続くと心が折れそうになりました。内心は、「これだけ美味しいコーヒーを作って提供しているのに何故売れないんだろう?」と自問自答の日々でした。そのときに気づいたことがありました。

~~~新規来店が無かった理由~~~

①ライトの照明が足りなく暗い印象があった

②音楽もBGMもなく怪しく寄りづらい印象があった

③コーヒーの香りなどが無く引き寄せれてなかった

この上記3点は、まずはお店を立ち寄るための気づきやアクションを起こすために、とても重要で大事なことでありました。ただ、ポツンとあるだけでは、まずお店かどうかも分からないし、真夜中だし、暗いし、怪しい車が居ることだけは噂になっていましたww

ですので、問題点を1つづつ解決していきました。まず①ですが、ライトや照明を増やして、敢えて運転して駐車場に入って来る車に向けて照明を向けておりました。何か、眩しいという認識は持って頂けると思いました。

そして、②の問題点ですが、どうせであれば昭和レトロのイメージっぽくJAZZの音楽を少し大きめな音で流しておりました。音は歩いている人には有効的なので、近寄って頂ける効果は高くありました。

最後に③ですが、意外にこの部分は大事な要素でありました。怪しい店があり、近寄ってみたらJAZZが流れていて店主は昭和レトロの衣装を着ているので立ち止まってみたが、やっぱり怪しいので素通りのパターンが多くありました。このときにコーヒーの香りが漂っていると無性に飲みたくなるようでした。ウナギ屋さんが、店の前で良い香りを漂わせているのと同じパターンですね。

この3つの努力と問題点解決によって、少しづつ新規顧客と口コミが増えていきました。あとは、噂になればメディア様に引っ張りダコでした。人がやっていない物珍しいことが世間やメディアにハマると、物凄い追い風が来ることを痛感しました。ただ、この当時から今でも通って頂いているお客様も沢山いらっしゃいます。

苦労して売り上げが上がらずに何度も辞めようとしたときに、少しでも売り上げに貢献してくれたり励ましてくれたりとして頂ける方が多くいらっしゃいましたので、何とか辞めずにこれたのだと感じております。苦労した時に助けてくれた人には、いつまでも感謝の念は消えませんね。もちろん、どんな状態でも助けて頂くことには感謝しかありませんが、身動きとれずに終了のゴングが鳴らされる寸前に善意で助けて頂いた方は、頭から離れませんし自分がいつも謙虚で居れる理由を作って頂けているので感謝でもあります。

そんなこんなで、お客様が定着し週末イベントと平日の熊本新港での移動喫茶販売は少しづつ軌道に乗り始めておりました。ただ、このときは起業して4年目くらいでしたが、人間は定着すると次なる欲望というものが生まれることも身を持って体感しました。

更にクオリティ高いコーヒーを求めると必要なことは環境整備であります(4年目~6年目)

美味しいコーヒーを作るためには、移動販売車で作るには限界があると、このときに身を持って知りました。コーヒー抽出環境もドリップコーヒーだけでなく様々な抽出器具が、そのゴールの味によっては変えていかなければならないし、再現性あるコーヒーを作るためには、もっと設備が必要になることを感じておりました。

この起業4年目くらいの時期から、日々の移動販売車のコーヒー販売をする側ら毎日お店やテナントの物件探しを行っておりました。人生は、何かを集中して求め続けているときはタイミング良く表れて手に入れることは稀で、大抵は諦め初めて忘れかけた頃くらいの脱力感あるときに降ってくることが多いように、このときは感じました。具体的に、物凄い条件での物件が探し始めて1年くらいで降ってきました。

ただ、内心では物件が見つかっても敷金や礼金や設備代などの資金はないからなぁ~と思っておりました。少し暮らしていける程度の稼ぎでしかなく、貯金するくらいの余力はなく店舗出店は生きているうちに出来るのかな??・・なんて内心では思っておりました。まぁ、結果どうなるか分からないけどスゴク良い条件の物件がないかなぁ~~・・なんて思いながら探していたら、なんとビックリありました。

またまた、人とタイミングでのご縁が重なり格安条件でしかも敷金礼金が0円で即入れる物件でした。それが、なんと今のるるわ珈琲の建物になっている原型のものでした。当時は、ゴルフ場の一角で牧場のソフトという人気ソフトクリーム店の空き店舗でした。なので、当時の私が好きだった和テイストのイメージで歌舞伎小屋風の建物や外観にリフォームを致しました。

このときは、運が良かったか分かりませんが、多大なる協力者のおかげで国からの融資を受けることが出来て、理想通りの店舗や設備を整えることが出来ました。これで、更なる美味しいコーヒーが作れて経営も安泰と思っておりました。しかし、現実甘くはなく、またもや経営危機の状態に陥り潰れかけて借金だけが残るところでした。

熊本るるわ珈琲

場所と形が変わればお客様のニーズや価値の創出も変化することに気づきました(6年目~8年目)

せっかく美味しいコーヒーを作れる環境になったのに、お店出店をして半年くらいで気づきました。この店舗出店でも、移動コーヒー販売車両での販売の考え方でいたので、店舗でのコーヒー販売なのにテーブルや椅子でくつろぐスペースもなく、お店の前にポツンと椅子を2~3脚をテラスに置いている程度であったので、店舗でのコーヒー屋さんの在り方ではなかったようでした。

気づいたら即行動が私の良いところ(笑)毎日、外の空間がですが飲食スペースを快適に作っていきました。そして、歌舞伎小屋風の建物に合わせて店舗前の広い駐車場空間に砂利を敷き詰め日本庭園の空間を作り上げて、その空間に場所を仕切りながら生垣や畳や赤い傘などを置いて洋風空間との和洋折衷なイメージでくつろぎ空間を作り上げました。

そうすると、移動コーヒー販売に価値を見出してくれているお客様ではない、店舗営業のるるわ珈琲に価値を見出してくれたお客様がリピートして下さるようになってきました。そうすると、前途で申した移動コーヒー販売で軌道に乗り始めたサイクルと同じになりました。「新規顧客来店数増加」⇒「リピータ数増加」⇒「口コミ来店数増加」⇒「メディア取材多数」・・・この繰り返しのサイクルが続いて軌道に乗ってきてくれておりました。

売れなくて価値を認めてもらえずに低空飛行の時期は固定概念と自己満足の塊があり、ユーザー目線やお客さん目線で必要な価値を見出すことが出来ないことを、この時もしっかりと学びました。

~~~この店舗出店での思うように上手くいかなかった問題点~~~

①移動コーヒー販売の固定概念をそのまま照らし合わせた運営をしたから

②店舗運営は店のコンセプトやイメージを明確に表現するべきであった

③少し分かりにくさのある場所であったのでWEBなどを通じて認知を上げるべきであった

この上記3点を徹底して改善し続けたら店舗出店から1年くらいで軌道に乗り始めて、まともに人を雇い運営が出来るような状態になりました。この時期は常時1人はお店で働き、私はイベントや夜の熊本新港での営業は継続し続けておりました。

上手くお店の運営が周り始めると、次なる夢や理想に走りたがりますね。毎日、楽しく妄想を始めておりました。スゴク居心地が良いし自分が作り上げた空間やお店創りが楽しくてたまりませんでした。色々と妄想しながら、毎日進化を続けてお店創りをしていた最中、店舗出店から1年半くらい経ったある日、借地のオーナー様が耳を疑うようなことを伝えに来られました。

『今、さっきこの土地を売ってきたから直ぐに出ていってもらっていいかな?』

・・というようなことを借地のオーナー様が仰られて、急転直下な出来事で目の前が真っ白になりました。その日は、その出来事のことで何も仕事が手につかなっかたのを今でも覚えております。

『どうしよう~~!!もうすべてが終わりだぁ~~!!』

冷静になるまでパニックでした。何だかんだ言っても、この全責任は自分にしかないので、この問題に向き合うことにしました。このときの問題点は金銭が大きく関わるので、自分自身の力や周りの協力ではどうにもならない部分がありましたので、休む間もない仕事の合間に向き合ってみました。

~~~借地からの急遽撤退によるリスクや問題点とは~~~

①金融機関からの借り入れをしているのと支払いを滞ることが出来ないので、自転車操業であった当時は働き続けて稼ぎ続けるしかないこと

②移転先を急遽探さないといけないこと

③移転するにあたっての設備や敷金や礼金などの費用が必要なこと

上記3点を同時に考えるリスクがありました。ある日突然なので、まずは土地主の所に行って頭を下げて交渉をさせて頂きました。店舗出店の際には、とてもお世話になったオーナー様なので無理を言うことも出来ずに、まずは涙ながらにお世話になったことをお礼を伝えました。そして、2つのことをオーナー様に了承を得るために交渉をさせて頂きました。

~~~オーナー様に直訴した2つのお願いとは~~~

①1カ月間だけ猶予を下さい!

②この建物を下さい!

真剣に私の想いとオーナー様に最後のワガママをお伝えしました。オーナー様も、『処分をするくらいなら上げるよ~~!』・・と仰って下さり、上記2点のことを快く受けて下さいました。そのあとは、どうなるか分かりませんが出来るだけ最善を尽くしてみようと思い直感と希望だけを持ち、またまた足掻きました。上記3点は、1つでも欠けると継続は出来ないと分かっていましたので、ドキドキでした。またこんなにハラハラドキドキするような、ピンチな状況がくるとは思っても居ませんでした。

人生は、落ち着いて大丈夫と思い始めていくと一気に落ちていく状況になることを身を持って改めて感じました。こういうときに、いつも思うことがありました。日頃から、もっと人に良くして人様のために尽くすことを行っとけば良かった!!・・ということです。いつも自分のことだけで、精一杯で毎日時間に追われていたので、これが自分の人生でここまでだったか!!・・なんて思って落ち込んだりもしました。そんなこといっても、沢山の巻き込んで来た人や応援や協力して頂いた人を裏切る訳にはいかなっかたので、いつも通り最後まで精一杯あがいてみました。

そして、まず私が行ったことはお客様に向けて、

【あと1カ月後に閉店致します!!】

・・ということを発信致しました。そうなると、本当に沢山の人が来て頂き涙ながらに悲しんでくれる方も居られました。最後まで、諦めないつもりで不眠不休で働いて動き続ける日々を繰り返しました。そして、次に行ったことは借地の交渉と金融機関との交渉でした。このときは、ホントに人様がくれたチャンスとタイミングが重なり続けて、すべてが上手く転がりました。

そして、なんと上記3点の問題点をすべてクリアすることが出来ました。でも、そうなると次から次にリスクと問題点が増え続けました。前に進めば進むだけ解決するべき問題点が増えるんだと、身を持ってこの時期は感じておりました。ただ、そんなときに決めていたことがあります。「感謝」と「覚悟」を持つことです。この2つを持って、どんな状況も笑顔と謙虚さで望みました。

~~~店舗移転をすることによるリスクと問題点~~~

①建物を3分割にしてトレーラーによる移動の方法

②建物の老朽化によるクレーンで持ち上げる際にペチャンコになるリスク

③借地の解体から撤去をする手段

今度のリスクは上記3点ですが、この問題点のすべてはまたまた人様に助けて頂きました。それも、こういう時だけ何も言わずに全部無償で助けて頂き感謝以外の言葉がありませんでした。ただ、これだけ周りの方々も手厚く助けて協力して頂いたのに、②の問題点だけは運でしかありませんでした。それは、この建物自体は当時で10年くらい経っておりましたので老朽化によりクレーンで持ち上げてトレーラーに乗せる際にペチャンコになるんではないかと言われておりました。

この建物はツーバイフォーという仕組みのコンテナハウスですので、柱がなく壁面だけで成り立つ箱型の建物であったのです。それを3分割にして組み立てるので、その3分割した建物をクレーンで持ち上げる際にペチャンコになることが予想されておりました。これが失敗したら、それまでの計画や協力して頂いたことが、すべて水の泡になるのでした。

当日は、画図から近見町まで車で20分くらいのところをトレーラーで3往復して多大な方にご迷惑をお掛けしました。そして、建物を3分割にしてクレーンで持ち上げる瞬間は現場に居る人達は皆息を飲んで見守りました。そして、無事に引き上げと設置まで何も失敗もなく計画通りに出来ました。このときは、改めて関わる人だけでなくこの私を生かしてくれている運命など、すべてに感謝でありました。もう私の意思だけでは止めることが出来ない仕事や事業になりましたね。

移転前の最終日にお別れパーティーに200人の方が集まって頂きました(8年目)

もう次の移転場所や段取りが1ヶ月弱の間に出来て、るるわ珈琲のお別れパーティーをその営業場所で最終日は今までの感謝の意を込めて、入場料無料で出来るだけのもてなしをさせて頂きました。このときも、当店スタッフだけでは準備や運営が出来なかったので常連さま方が何から何まで手伝って頂き、とても助かりました。昼12時から夜12時まで合計200人の方が来て頂き、大賑わいでした。まだ移転することは、色んなリスクを考えてお伝えする事が出来なかったので、最後の11時50分くらいから嵐のような雨で残った沢山のお客様から名残惜しく涙ながらのお別れをしたのを今でも覚えております。

早く次の営業先がすべて確定した状態になれば伝えれるのに、伝えれず仕舞いでお別れしましたので、今現在でも移転したことを知らない方もいらっしゃると思います。つい先日も、たまたま通ったらるるわ珈琲があってビックリして立ち寄りました!!・・と仰られたお客様が居られて10年振りくらいの再会でした。そして、やっと次なる土地で予想以上の大ブレークが出来て安泰と思った矢先に、更なるトラブルがあって大変なことがありました。

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理想の焙煎所で焙煎機4台とコーヒースタンドの営業も順調に行き始めてコーヒー浸けの日々が楽しかったのですが・・(8年目~14年目)

それから、今現在の熊本市南区近見町の店舗の土地に移転して、素晴らしい仲間とお客様に囲まれて営業が出来る環境になりました。様々な問題点と波はありましたが、何とか解決しながら年々素晴らしいコーヒーを提供出来る環境になってきました。

コーヒーの焙煎機も、2年目に熊本に帰ってきたときに購入した焙煎機が1台で自宅で焙煎を行っておりました。そのうちに、1台づつ増えていき焙煎所も借りてリフォームして行っておりました。少しづつコーヒー豆販売も多くなり、最終的には焙煎機が4台となり、素晴らしいコーヒー豆を焙煎していける環境も整い楽しいコーヒー浸けの毎日でありました。

朝起きて寝るまでコーヒーと関わることが続いておりました。理想に近づくコーヒー環境を毎日過ごして営業しておりましたが、2016年4月16日に熊本地震が起きて、またまた失うものが多くありました。この時の、熊本地震で私は自宅と焙煎所を失うことになりました。この熊本地震の2日前にも震度6くらいの大きな地震があり、このときはるるわ珈琲で仕事中でした。

夜21時くらい過ぎてから、お客様も沢山ご来店頂いて居りまして、いつもとおりバタバタしている最中でした。いきなり「ドン」と縦揺れが始まって、洗濯機の中にいるかのような縦横斜めグルグルと回るような感じで立って居られませんでした。「ヤバいやつだ!!」・・と本能で感じて、手にはコーヒーの上に浮かべるための生クリームを持ったまま、外に飛び出しました。建物から外に飛び出した瞬間に店内の200度近いオーブンが倒れてきました。

そのまま店内に居たら下敷きになっておりました。ただ、外に出ても当店の駐車場の地面に亀裂が入り地割れしていきました。その間に挟まってコケないように必死に避けて駐車場の真ん中辺りまで逃げました。当店の位置する土地周辺は、熊本でも特に地盤が柔らかく液状化地区でもありました。もともとは河川であった場所を埋め立ている歴史があるようでした。

そのあとは、立て続けに震度5~6クラスの余震が何度もありお店の中に居ることが出来ない状態が続いておりました。すべての品や物などは、棚から落ちて散乱しておりました。ただ、緊急災害なので近所の方々も怖くて家に入れない人ばかりでしたので、一晩中るるわ珈琲はオープンした状態で駐車場が避難場所になっておりました。そして、次の日は一日中片付けをして散らかったものなどを整理して、通常通りに営業しておりました。

そして、不眠不休で働き動き続けて家に帰って風呂に入って、ゆっくりと2日ぶりに休息を取ることが出来ると思っておりました。風呂に入ってシャンプー中に、物凄い揺れと建物が崩れていく音と物や食器が割れる音がして電気が消えて近所の悲鳴などが聞こえてきました。丁度、シャンプー中であったので目が開けれずに風呂場の扉を蹴破ってそのまま外に飛び出しました。自宅の前は、地割れの部分から水道管が破裂して水浸しで、外は真っ暗でした。近隣の人々は、皆車で避難しようとして大渋滞しておりました。

そんな状態で、自宅と焙煎所は失うことになりました。そして、るるわ珈琲はボロボロながらも物だけが散乱してそのままの状態でした。ただ、この近隣は2週間くらい断水状態で営業再開も出来ずに、またまた大ピンチに見舞われました。またもや、事業を廃業して破産になるか、前に進むかの2択でした。立ち止まることは、許されない状況でした。

でも、熊本中では、それどころではない人も多く生きるか死ぬかを迫られるような状況でしたが、せっかく生かされたし、まずは自分に出来ることをしよう!!・・と思い、少しの貯蓄はありましたので、周りで物資が足りていない人などに届けたり調達したりと、とにかくバタバタ動き続けておりました。熊本の地震の被害も具体的に、ライフラインが止まっても1週間以内で復旧するところが多く、一部の益城や震源地ラインの方々や私の自宅やるるわ珈琲周辺は、根本的な地割れや倒壊などで復旧が遅れる地域もありました。

なので、私はどっちにしても2週間はまともな暮らしや仕事も出来なかったので、物資調達や物資配送などを行い続けておりました。内心は、人のこと所か自分が今後どうなるかも分からないし、積み上げたものをすべて失い、周りに迷惑を掛けることになるのだろうと、毎日眠れぬ日が続いてました。ただ、私にはこれまで助けて頂いた方に恩返しをする責任もあるので、こんなところで諦めてられないと、思いつつ出来るだけ継続出来るように努めてみようと向き合ってみました。

それに、私よりも苦しみ失ったものが、大き過ぎる人も沢山居たことと思います。それに比べたら、私はまだ次のチャンスを頂けるような状況でもあったので、諦めずに続けて全力で向き合おうと感じ全力投球してみました。

~~~熊本地震後に経営を継続するためのリスクと問題点だったことは?~~~

①地震直後は水道で電気が復旧せずに身動きが取れない間の金銭的なこと

②焙煎機が4台ともグチャグチャになったこと

③焙煎所が崩れそうであったこと

④営業が出来ないので売り上げがなく、運転資金が底つきそうであったこと

上記4点が地震直後の経営リスクでありました。救援物資を運んだり調達したりしながら、次に繋げる努力は出来る限りしてみました。まず、①の問題点はライフラインなので私の努力ではどうにもならなかったので諦めました。②は、まず焙煎機などのメカニックに精通している方に頼み込んで修理して何とか使用出来るようになりました。

そして、③も何とかある程度の修復で使用出来るようになりました。④は、どうしようもなかったので私の貯蓄が底を尽きるかライフラインが復旧して営業再開が出来るのが先かの運任せでしかありませんでした。そして、運良く2週間くらいで営業再開が出来るようになりました。この営業再開が出来る2週間の間にるるわ珈琲の店舗の中を掃除に行くことが多かったのですが、その度にお客様が営業もしていないのに駐車場で集まっていました。そして、いつも当店の営業再開を心から望んで待ってくれておりました。

救援物資やお金なども日本全国のるるわ珈琲に所縁のある人々から頂きました。手紙やコメントも沢山頂き、「一日も早く営業再開をして欲しい。自分たちにとってはかけがえのないお店でありコーヒー屋さんなので。」・・という言葉を頂き、心がキュンとなり涙ながらに感動とやる気が芽生えたのを覚えておりました。少し諦めと悲しみが多く、すべてが終わりと思っていましたが、メチャクチャやる気と勇気をもらって立ち直ることが出来ました。

そして、営業再開をしてそれからは休みなく3ヶ月くらい働きましたが、おかげさまで休んでた分以上の売り上げがあり、とても助かり息を吹き返したのを今でも覚えております。全国各地から、わざわざコーヒー1杯のために駆けつけてくれて励ましや救援物資を届けてくれた方が多くいらっしゃいました。これは、一生この仕事を辞めれない理由が1つ増えました。こうやってピンチになると、いつも何も言わずに助けて頂く方々は裏切ってならないし、恩返しをしなくてはならないなぁ~・・と感じます。

直接的に恩返しなどは出来ないのですが、せめて私が皆様に恩返し出来ることは、るるわ珈琲を更なる良いコーヒーを提供して、いつまでも皆さんが通えて笑顔でこの看板を掲げ続けることだなぁ~~・・と思い、更に気を引き締め頑張ろうと心に誓いました。

コーヒー焙煎研究所わたるを設立しました(15年目~現在)

この後、るるわ珈琲は何とか営業利益は盛り返して年々上がっていきましたが、もう1つの顔である「自家焙煎珈琲研究所るるわBEANS」の焙煎所の方が建物が地震により復旧不可能で次なる拠点を探していかないといけなくなりました。その際にも、大きな3つのリスクがあり、この問題点をクリアしないと次なるステージにはいけませんでした。

このときも、ホント苦労しました。ただ、こんな状況のときにこんな私に手を差し伸べて下さる方がいらっしゃって、いつも助かることになります。それどころか、私が掲げていた夢以上の現実が叶うことにもなります。このときも、私の理想の150%くらいの現実が待っていました。それも、すべて人様のおかげです。私の実力などは、これっぽちもなく全て関わって頂ける皆様のおかげで理想の現実が形として表れます。

このときは、結果るるわ珈琲とは別のブランドで【コーヒー焙煎研究所わたる】という看板を掲げて新たなる船出をすることになりました。私が理想とするコーヒーの表現がありましたので、るるわ珈琲の理念と環境とは異なる部分がありましたので、私の名前をお店のネーミングに致しました。このときも、数えきれないくらいの方々に快く私のワガママに付き合ってくれました。またまた感謝でしかありませんでした。

改めて、直接お礼が出来ない人も居りますので、より一層自分の身の丈にあった還元を社会や周りにもしていきたいと感じました。目の前に困った方や、周りに悩みなどがある方に、私が出来る限りの力を注いでいくことも還元や恩返しに繋がることだと思い、現在も実行させて頂いていることがあります。ホントに感謝ばかりであります。

一生コーヒーと向き合って、関わる人々にコーヒーで還元したり感動を与えていき、更なる良いコーヒー環境も整えてコーヒーでのサイクルで人と繋がっていきたいと感じております。これまでも、前途のような山あり谷ありではありましたが、どの瞬間でもコーヒーだけには関わりたくてコツコツ勉強したりコーヒーの達人に会いに全国各地に周ったり飲み歩いたりもして、沢山経験を積ませて頂きました。ただ、私が知っているコーヒーはまだまだ一部であり、一生掛っても知り得ることがないくらいコーヒーの世界は奥が深く楽しいものであるから、更なる良いコーヒーを作るための環境や場も提供していきたいと思います。

るるわ珈琲とは「人の和が流れ留まる場所」を目指すコーヒー店(現在)

るるわ珈琲は、コーヒーを通じて人と人が繋がり、人の和が流れ留まるようなコーヒー店を目指しておりますが、ホントに現在は理想とおりにコーヒーで人の和が出来つつあるお店に成長出来ました。そんな、るるわ珈琲にもコーヒーへの想いは強くあります。

現在、るるわ珈琲で提供するコーヒーには3つの拘りがあります。

~~~るるわ珈琲の提供するコーヒーのこだわりとは~~~

①スイートネス

②クリーンカップ

③アフターテイスト

上記3点の表現を持つコーヒーに拘りを持ち、この表現が出来ている液体のコーヒーのみを提供しております。①は、コーヒー由来の甘さを生豆や焙煎や抽出により表現をする。②は、コーヒーの液体に濁りのない透明感あるコーヒー液体を表現する。③は、風味や味わいが後口に長く持続するようなコーヒーを表現する。

これら3つを心掛け、スタッフ一同コーヒー作りに日々精進しております。そして、コーヒー作りだけではなく、スタッフ一同でお店の理念として掲げていることがあります。それは、

【人や社会に必要とされるコーヒー屋】

・・を目指し日々にコーヒー店を運営しております。自分でもプライベートに1人でポツンと来たいようなコーヒー屋を作り上げることが目標でもありました。私は、ホントにお客さんとしてプライベートで寂しいときや考え込む時は来たいお店がるるわ珈琲であります。コーヒーも好きだし、人はいつもガヤガヤ賑やかで、でも放っておいてもくれるし話しかけても答えてくれるし、孤独なときは癒されます。そんな自分も好きなお店を運営が出来て、とても幸せでコーヒー屋冥利に尽きます。

人間味が増すほど、良いコーヒーが生まれる

始まりは、ありったけのお金で購入した農家さんから格安で手に入れたボロの軽ワゴン。
三日三晩でコーヒーの移動販売車用にリメイクしました。
そしてお店の名前は、内山渉の「わたる」から、まずは「るる」と命名。
しかしどうにもおさまりが悪いので、最後に「わ」をプラス。

そんな突貫工事的に、「るるわ珈琲」の歴史は始まったのです。
「るるわ」の意味合いも少しずつ変わっていきました。
なんとなくつけた名前でも、日に日に愛着が沸くものです。

 

苦い経験と多くの出会いを通じて、さまざまなことを学びました。
北海道から沖縄まで、全国の達人訪問は今も毎年続けています。
そのたびに、自分が知っていることはほんの一部なんだ、ということに気づかされます。

そしていろんな方と関わるごとに、コーヒーの世界が面白くなっていきます。

私はコーヒーと同じだけ、人間の魅力を学びたい。
出会いと自分磨きを通じて人間味が増せば増すほど、良いコーヒーが生み出せるのだろうと思います。

 

人の和が流れ留まる場所。
「和」「流」「留」が「わるる」、そして「るるわ」へ。

今はこの言葉が一番しっくりきています。

今年で16年が経過したるるわ珈琲。

ずっと人間の魅力を学び、コーヒーの奥深さを学び続けて、ずっとずっと進化を続けていきたい。

今後も、私共々るるわ珈琲に関わって頂く皆様、末永く宜しくお願い致しますね!!

 るるわ珈琲 代表 内山 渉

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